北九州市と福岡市にまたがる三里松原海岸の遠賀川河口付近に
旧・日本陸軍の手により飛行場が建設された
任務は北九州工業地帯の防空である
終戦を迎え
その基地は米軍によって接収され
朝鮮戦争の前線基地としての役割も担った
その河口付近で
1952(昭27)年:芦屋町外二ヵ村競艇施行組合により芦屋競艇場が開催された
町の総面積の半分近くを占める基地の向こう側は海だが
競走水面は山に囲まれた淡水のプールである
1960(昭35)年:米軍は完全に撤退し
そのアメリカ軍の撤退で町の活気は薄れ経済的打撃も受けたが
競艇事業の収益金が町制運営の基盤となり
公共下水道事業など数々の生活環境整備が進められてきた
翌、昭和36年:米軍基地後には航空自衛隊芦屋基地が正式に開設された
<昭和52年度・芦屋町主催・連勝単式勝舟投票券>
福岡県遠賀郡芦屋町
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